どこの寺院も綺麗に庭の手入れがされています。
敷地の中には、運河があり、運河を挟んだ反対側に
僧侶が暮らす僧坊があります。
ド ゥ シ ッ ト 地 区
2016年12月
京都市にある城南宮の庭園にて
夏椿の木の案内板に、
「印度の沙羅双樹と誤認した」
と、書かれてました。
5月3日に日本に帰って来て1ヶ月ちょっと・・・ どの位前だったでしょうか、ミイラや日本のお寺に 残る即身仏を取り上げた番組がありました。 怖がりの私、いつもなら直にチャンネルを変えてし ま う所ですが、この日は・・・・・番組を見ながら、 涙を 抑える事も出来ず、先月8日深夜に亡くなった 父の事 をず〜っと考えていました。 娘から聞いた母からの伝言 「おじいちゃん、1日に具合が悪くなって入院してる けど、 大丈夫だから来なくていいよって」 直に電話を入れると、「食べた物が腸に詰まって入 院になったけど、手術しないで10日程で帰れるから」 との事でした。 翌日4日、病院へ行くといつもと変わらぬ笑顔。 食事が止められているので点滴はしているものの、 談話室に行ってバンコクの話を1時間程して帰って きました。 その翌日5日には、今年4月に新社会人 となって寮生活を始めた息子が帰って来ていたので、 2人で父の所へ。 新たな土地での生活を気遣いながら「今度遊びに行 くからな」なんて、嬉しそうに目を細めていました。 急変したのは、その翌日のお昼過ぎ・・・ 病院から「反応が鈍くなっているので、お母様のそ ばにいてあげてほしいので来て下さい」との電話。 昨日は、とても元気だったし今日は孫の初節句と、 息子の誕生日のお祝いで、朝から台所に・・・。 火を消して、急いで病院に駆けつけると、 緊急治療室の前のイスに母の姿を見つけました。 「さっきまで談話室で話をしていて、部屋に戻る前 に 自分で髭を剃ってトイレを済ませ、ベットに移ろ うとした瞬間に {痛い!!}って言うなり、声をか けても返事をしないので看護婦さんを呼んだ」と言う。 今回の腸の詰まりでもエコーを撮っていたのに、全 く別な膵臓近くの動脈が破れ、出血を止める事が 出来ずあっけなく逝ってしまいました。 あまりに急過ぎて受け入れられないでいます・・・。 番組を見ていて、ミイラでもいいからず〜っと傍に いて欲しい、 そう思ったら涙が止まりませんでした。 葬儀の時お坊さんが、「これから49日間かけてあの 世へといかれます。 戒名には、{紫}という字{光}という字、そして、 お父 様が好きだった旅行や釣りをしてもらえる よう{雲}という字を 入れさせて頂きました」と、 話して下さいました。 父は、まだあの世に向かって旅をしている途中で しょうか・・・ ミイラでもいいから傍にいて欲しいと 思う気持ちと、 天国に行って好きな所を旅行した り、雲を眺めながら 釣りを楽しんで欲しいと思う 気持ち、そして、自身の最後は、どう迎えるのか・・・ いろんな事を考えてしまいます。 父の最期、痛みを感じたのは、ほんの数秒だった のでしょう。いつかまた、たくさんの仏像に手を合 わせる時には、「上手な逝き方をしたね」 って誉めてあげられるのでしょうか・・・。 2009年6月10日記 |
沙羅双樹の花
〜平家物語〜 祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 、盛者必衰の理をあらはす 奢れる者久しからず 、只春の夜の夢の如し |
回廊には、タイだけでなくアジア各国の代表的な
ブロンズ像52体が並んでいます。
床や太い柱も大理石です。
目に留まったのは、パキスタンのLahore博物館に保管され
ている、石のオリジナルから鋳造された、断食をするガンダ
ーラの彫刻。骨と皮だけとなり眼球は、窪んでしまったよう
に見えますが、穏やかな表情をしている仏様です。
この坐像、自の意志で穀物を絶ち、地面に人が入れるだけ
の狭い穴を掘って周りを石で覆い、その中に木の桶を入れ、
生きたまま中に入り、息絶えるまでお経を読み続けるとい
う、日本の即身仏のようにも見えます。
、、
茨城県の牛久大仏に行った時、 胎内に生誕のパネルが展示されていました。 ネパールの西南部に位置する釈迦族に嫁いだマーヤ夫 人が、出産の帰省の途中、ルンビニの園で休憩してい た時に脇の下から姿を現したのが、釈迦と言われてい ます。 その、西側にサへート布教伝道の地・祇園精舎と、あ ります。 平家物語の冒頭に書かれている祇園精舎??? そこで、調べてみたら、 「祇園」というのは、インドのコーサラ国の 祇多太子(ぎだたいし)が持っていた林(祇樹)の事。 コーサラ国の長者、スダッタは、 ここに釈迦の説法を聞く為の寺を建てたそうです。 スダッタは、身よりのない人に食事も給していた事か ら給孤独長者(ぎっこどくちょうじゃ)とも呼ばれ、 2人の名前をとって、祇樹給孤独園精舎、 略して祇園精舎と、名付けられたそうです。 精舎というのは、お寺との事なので、祇園寺という事 かな。その祇園寺の境内にある無常堂の4隅に鐘が あるそうで、その鐘の音が諸行無常の響きありとつな がるんですね。 |
ワット・ベンチャマボピットは
1899年、ラマ5世の命によって、
建造された寺院で、壁や床、柱
は大理石で造られています。
日本で見る狛犬の様な感じの像は、「シン」と呼ばれる
獅子で、この像も大理石造られています。
チャトラダー宮殿
王位ターフ・クラブ
チャイナタウンへ続く
近づいてみると、丸い大き
な実をつけています。
この木が沙羅双樹です。
(Shorea robustaの木)
なるほどこの白い椿の花ならうなづけます。チューリップ
やバラの花は、花びらが1枚1枚散って行くのに、椿の花
は、綺麗に咲かせた花を翌日には首からボタッと落とし
てしまう。アユタヤ遺跡で見た「お顔を落とされた仏様」
のように・・・・・・・・・。
「猛き者もいつかは滅びぬ 偏に風の前の塵に同じ」
本殿の裏庭にある
円形の墓地と菩提樹
仏教の世界では、お釈迦様が誕生した所にあった木が 無憂樹、悟りを開かれたのがインド菩提樹の木の下、 そして涅槃に入られたのが、沙羅双樹の木の下で、 この3本の木を三大聖樹と呼ぶそうです。 |
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無憂樹 (クイーン・シリキット公園 2月) |
アソカノキ 和名 無憂樹 マメ 科 仏教の三聖樹の1つで、 お釈迦様のお母様(マーヤ妃)が、 ネパールのルンビニ園に咲いていた この無憂樹の花を折ろうとした時、 お釈迦様が脇腹から産まれたと、 伝えられています。 |
修行をする若い僧達
本堂の周りには足場が組まれ、
中に入る事が出来ませんでした。
Wat Benchamabobhit 2009/5/1
ラマ5世通りに入って
直ぐ左手に見えるのが政府官庁‥‥
ん‥‥!?何か変な雰囲気だよ‥‥
オレンジ色のTシャツを着た
人が集まっています。
鮮やかなオレンジ色の屋根瓦。
こんなところにも仏様が。
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沙羅双樹の木