タ イ の 歴 史
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@ ビルマ南部のモン族
先史時代、インドから渡って、
ミャンマーやタイのチャオプラヤー川流域には、
稲作文明の礎を築いた、先住民、モン族が暮らしていました。
インドの伝道師(僧侶)によって仏教もこの頃伝来されたそうで、
仏像や仏塔を造り出し、仏教文化を広めて行きました。
A カンボジアのクメール族
一方、隣国のカンボジアやベトナムで勢力を持っていたのが、クメール族で、
ラオス、カンボジア、そしてタイで暮らしていました。
インドや中国との交易が盛んに行われていたそうです。
B タイは、クメール帝国の支配下に
クメール帝国は、カンボジアやベトナムを本拠地とした
クメール族の国です。
アンコールを都とする、Bクメール帝国は、
ロップリーなどを拠点に、タイを支配下におきました。
建造物の構築に優れていた彼らは、
12世紀には、巨大なアンコール・ワットを造りあげます。
しかし、1431年、Cアユタヤ軍との戦いに敗れ首都アンコールは、陥落し、
クメール帝国も滅亡してしまいます。
C タイ族による初めての統一王国
漢民族から逃れて南下して来た、
中国の揚子江南岸のタイ語族系の民族(タイ族)が、
スコータイに小さな国を創り始めます。
1238年、スコータイを支配していた、
クメール族を制圧し独立を宣言します。
タイ族による、初めての統一国家、
スコータイ王朝の誕生です。
この時を境に、これまでの部族による国から、
王朝による国へと変わって行きます
1296年、チェンマイに遷都し、
クメール文字をもとに、タイ文字を創り、
スリランカから上座部仏教を取り入れて、
国教としました。
また、中国から陶工を呼び窯場(スワンカローク焼き)も造りました。
領土は、ラオスからマレー半島にまで及びましたが、
支配下となったビルマの一部の
モン族が南下してきたモンゴルに滅ぼされた事によって、
パヤオ国、ラーンナータイ国と同盟関係を築き、守りを固めます。
198年続いたスコータイ王朝でしたが交易の拡大によって、
商業の中心がタイ湾に近いアユタヤに移ってしまい、
ラームカムヘン王の死後衰退し、1438年、アユタヤ王朝に併合されます。
D
タイ北部、ランプーンを都とし、北西部を支配していたモン族の国
13世紀後半に、ラーンナータイ国に征服されます。
E
タイ北部、パヤオを拠点としていた、タイ族。
スコータイ王朝、ラーンナタイ国と、友好関係を保ちました。
F
1296年、メーンライ王は、ハリプンチャイ国を征服し、
チェンマイを首都としピン川の畔に城壁で固めた
「ラーンナータイ王国」を築き、
水路をひき水田を作ります。
「ラーン」は百万、「ナー」は、稲田を意味するそうで、言葉からは、
豊かな水田をイメージさせられますね。
ラーンナータイ王国は、
チェンマイ、チェンライ、メーホンソーン、
ランプーン、ランパーン、ナーン、プレーなど、
北部一帯を支配する大国となり、
1369年、6代目の王は、スコータイから層を招き、
仏教の布教に力を注いでいきます。
14世紀半ば頃から、上座部仏教が広まり、
巨大な仏塔が建設されるようになりました。
隣国ビルマとの戦いが繰り返される中、200年もの間属国となりますが、
ランナータイ国は、チャクリー王朝(ラマ5世)に併合されるまで、
600年もの間、独立国として存続していました。
〜 タ イ の お 寺 〜
バンコクやアユタヤで見て来た寺院の境内
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本 堂 |
寺のご本尊を安置していて、
ウボーソットと呼ばれています。
※ 屋根には魔よけとして、
神話に登場する鳥が飾られています。
※ 本堂の四隅には結界石、パイ・セーマと
呼ばれる石が置かれています。
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仏 塔 |
お釈迦様が亡くなってから、ブッダの遺骨や
遺髪などを納めたのが仏塔(ストゥーバ)と呼ばれ、
歴代の王の遺骨が納められています。
※ 仏塔は、チュデイと呼ばれる、
スリランカから伝わった釣鐘の形をした
仏塔(スリランカ様式)と、
※ トウモロコシのような形をした
プラーンと呼ばれているクメール様式の仏塔の
2つに大きく分けられます。
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他 に |
仏典を保管しているホートライと呼ばれる大切な経蔵や、
信者達が礼拝を行う、ウィハーンと呼ばれる礼拝堂・仏堂があり、
ここにも仏像が置かれています。
日本と違っているのは、徳の1つと考えられているのか、
日本のお賽銭のような意味あいがるのか・・・
礼拝に訪れた人によってたくさんの金箔が仏像に貼られています。
他に、半鐘塔や、回廊、僧侶の住居として、僧坊があります。
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仏 像 |
寺院に安置されている仏像は全てお釈迦様だそうです。
菩提樹の下で悟りを開いたお釈迦様の姿を
表しているのが、「坐像」で、
バンコクの「ワット・ポー」やアユタヤの
「ワット・ヤイ・チャイモンコン」で見たような
横たわっている姿「涅槃像」は、入滅を表しています。
お釈迦様が各地を歩いて説法を説いた姿が「立像」で、
これから訪れるスコータイには、
お釈迦様の歩く姿を表した
「遊行仏」があるそうです。
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壁 画 |
本堂や礼拝堂、回廊には、壁画が画かれています。
バンコクにある「ワット・プラケオ」の
回廊に描かれていたのは、「ラーマキエン」
本堂には、お釈迦様の
生涯が画かれている事が多いようです。
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10世紀頃の原住民、「モン族」と「クメール族」の居住域を見ても国境はなく、
この頃、インドの伝道師によって仏教の教えがモン族に広まったそうです。
11世紀には、アンコールを首都とした、クメール大帝国が誕生し、
クメール様式の仏塔が建てられるようになります。
13世紀になると、クメール帝国を制圧した、
タイ族による初めての統一国家、スコータイ王朝が誕生します。
部族による国家から王朝国家へと変わります。
上座部仏教を国教とし、スリランカ様式の仏塔が建てられるようになります。
タイの歴史をたどって見ると、インドや中国、イスラム文化などの影響を受けながら、
王朝の交代と共に民族が移動し、独自の建築様式が加わり、
仏塔や仏像の姿も変わってきたのかな・・・って思えます。
8世紀頃のアジアには、今のような国境はなく、現在のナコーンパトムの辺りには、
トバーラーバディー国があり、ランプーンの辺りには、ハリプンチャイ国があったそうです。
シュリヴィジャヤ国は、スマトラを本拠地にし、タイ南部のスラーターニーや、
チャイヤーを支配していたそうです。
建造物には、ジャワ(ジャワ様式)や、インドの商人が伝えたという
ヒンドゥー教(ヒンドゥー様式)の影響があるようです。
・・・・・・・・・・・・・・
今年(2010年)3月から5月までの2カ月に及ぶ、
非常事態(暴動)は、一応治まったものの、
7月に入っても非常事態宣言はまだ解除されていません。
この国の格差社会がなくなっていかない限り、
同じような事が繰り返されるように思えます・・・
そんな状況のタイですが、
夏休みにタイ北部の町を訪れてみようと思っています。
もちろん、現地大使館から出される安全情報は、
要チェック!!です。
今回予定しているのは、チェンライ、チェンマイ、スコータイの
遺跡寺院を巡るツアーで、タイ、ミャンマー、
ラオスの国境がメコン川で接している
ゴールデントライアングルも含まれています。
ここはかつて、ケシの栽培が盛んに行われ、
麻薬取引が行われていた地域で、
ゴールデンと呼ばれるのは、
麻薬によって莫大な富をもたらしたからだそうです。
この国境近くで暮らすヤオ族、アカ族、カレン族などの
山岳民族は、海抜1000m級の山々の斜面で、
今は稲やトウモロコシを作り、
独自の生活様式を守っているそうです。
そんな山地で暮らすの少数民族の1つ、
「メオ族の村」へも行く予定です。
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1431年
Cアユタヤ軍によりクメール帝国は、崩落
昨年は、何度かタイ中部に位置するアユタヤ遺跡を訪れました。
「盛者必衰の理をあらはす
奢れる者久しからず 只春の夜の夢の如し」
父が亡くなった事もあり、朽ち果てた寺院や仏塔に、
ただただ虚しさや、寂しさを感じてしまいました。
それでも、日本の寺院や三重塔、五重塔にはない建築様式や、
仏様をゆっくり見る事が出来たのは、
私も孫を持つ年齢になったからでしょうか・・・
タイを旅行していると、あちこちにお寺があり、
どこへ行っても熱心にお参りする人の姿を見かけます。
徳を積む事のみによって救われる、上座部仏教の教えでは、
寺院(仏塔)を建てる事が最大の徳であり、
王の権力をも示しているようです。
お寺以上に見かけるのが、精霊(ピー)を祀った祠です。
お水やお米、お花が供えられています。
タイは、ミャンマー、ラオス、カンボジア、マレーシアなど、
四方を隣国に囲まれています。
インドや中国など大国からの影響もあったのでは・・・
そこで、北の町を訪れる前に、
アユタヤ王朝以前のタイの歴史や
バンコクやアユタヤで見て来た寺院について
簡単にまとめてみました。
イ ン ド
(旧セイロン)