モンゴルからの攻撃
に備え同盟関係を結ぶ

タ   イ   の   歴   史
 Bク メ ー ル 帝 国
アンコール王朝

・・・・・・

トバーラーバティー国
@先住民
(モン族)の国

・・・・

12世紀 アンコール・ワットが造られた

・・・・・・

制 圧

          1000 1100 1200 1300 1400 1500 1600 1700 1800 1900 2000

50

100km

ミャンマー

ラオス

モンゴル

ゴールデン・
トライアングル






























































           


























タイ北部  

スコータイ王朝
  Cタイ族

   よ う こ そ  バ ン コ ク 便 り へ
























1378年 アユタヤに併合 

1767年
ビルマ軍の攻撃により
アユタヤは陥落

御朱印船貿易
(山田長政1612〜1630)   

   @ ビルマ南部のモン族
     先史時代、
インドから渡って、
     ミャンマー
やタイのチャオプラヤー川流域には、
     
稲作文明の礎を築いた、先住民、モン族が暮らしていました。
     インドの伝道師(僧侶)によって仏教もこの頃伝来されたそうで、

     仏像
仏塔を造り出し、仏教文化を広めて行きました。   

  
A カンボジアのクメール族
      
 一方、隣国のカンボジアベトナムで勢力を持っていたのが、クメール族で、
     ラオス、カンボジア、そしてタイで暮らしていました。
     インド中国との交易が盛んに行われていたそうです。

  
B タイは、クメール帝国の支配下に
     クメール帝国は、カンボジアベトナムを本拠地とした
     クメール族の国です。
     アンコールを都とする、Bクメール帝国は、
     ロップリーなどを拠点に、タイを支配下におきました。
     建造物の構築に優れていた彼らは、
     12世紀には、巨大なアンコール・ワットを造りあげます。
    
     しかし、1431年、Cアユタヤ軍との戦いに敗れ首都アンコールは、陥落し、
     クメール帝国も滅亡
してしまいます。  

  
C タイ族による初めての統一王国
     漢民族から逃れて南下して来た、
     中国揚子江南岸のタイ語族系の民族(タイ族)が、
     スコータイ
に小さな国を創り始めます。
     
1238年、スコータイを支配していた、
    クメール族を制圧し独立を宣言します。

    タイ族による、初めての統一国家
    スコータイ王朝
の誕生です。

     
この時を境に、これまでの部族による国から、
    王朝による国へと変わって行きます

    1296年、
チェンマイに遷都し、
    クメール文字をもとに、タイ文字を創り、
    スリランカ
から上座部仏教を取り入れて、
    国教としました。

     また、中国から陶工を呼び窯場(スワンカローク焼き)も造りました。
     領土は、ラオスからマレー半島にまで及びましたが、
     支配下となったビルマの一部の
     モン族が南下してきたモンゴルに滅ぼされた事によって、
     
パヤオ国ラーンナータイ国と同盟関係を築き、守りを固めます。


     
  198年続いたスコータイ王朝でしたが交易の拡大によって、
     商業の中心がタイ湾に近いアユタヤに移ってしまい、
     ラームカムヘン王の死後衰退し、1438年、アユタヤ王朝に併合されます。

  
D
     タイ北部、ランプーンを都とし、北西部を支配していたモン族の国  
     13世紀後半に、ラーンナータイ国に征服されます。

  
E
     タイ北部、パヤオを拠点としていた、タイ族。 
     スコータイ王朝、ラーンナタイ国と、友好関係を保ちました。  

  
F
     1296年、メーンライ王は、ハリプンチャイ国を征服し、
     チェンマイを首都としピン川の畔に城壁で固めた
     「ラーンナータイ王国」を築き、
     水路をひき水田を作ります。
     「ラーン」は百万、「ナー」は、稲田を意味するそうで、言葉からは、
     豊かな水田をイメージさせられますね。

     
ラーンナータイ王国は、
    チェンマイ、チェンライ、メーホンソーン、
    ランプーン、ランパーン、ナーン、プレーなど、
    北部一帯を支配する大国となり、
    1369年、6代目の王は、スコータイから層を招き、
    仏教の布教に力を注いでいきます。
    14世紀半ば頃から、上座部仏教が広まり、
    巨大な仏塔が建設されるようになりました。

     隣国ビルマとの戦いが繰り返される中、200年もの間属国となりますが、
     ランナータイ国は、チャクリー王朝(ラマ5世)に併合されるまで、
     600年もの間、独立国として存続していました。





〜 タ イ の お 寺 〜
バンコクやアユタヤで見て来た寺院の境内


本 堂  

 寺のご本尊を安置していて、

 ウボーソット
と呼ばれています。

  ※ 屋根には魔よけとして、

    神話に登場する鳥
が飾られています。
  ※ 本堂の四隅には
結界石、パイ・セーマと
     呼ばれる石が置かれています。


     
仏 塔  

 お釈迦様が亡くなってから、ブッダの遺骨や
 遺髪などを納めたのが仏塔(ストゥーバ)と呼ばれ、
 歴代の王の遺骨が納められています。

  ※ 仏塔は、チュデイと呼ばれる、
    スリランカから伝わった
釣鐘の形をした
    仏塔(スリランカ様式)と、

  ※ 
トウモロコシのような形をした
    プラーンと呼ばれている
クメール様式の仏塔の
    2つに大きく分けられます。


      
他 に  

 仏典を保管している
ホートライと呼ばれる大切な経蔵や、

 信者達が礼拝を行う、
ウィハーンと呼ばれる礼拝堂・仏堂があり、
 ここにも仏像が置かれています。

 日本と違っているのは、徳の1つと考えられているのか、
 日本のお賽銭のような意味あいがるのか・・・
 礼拝に訪れた人によってたくさんの金箔が仏像に貼られています。

 他に、
半鐘塔や、回廊、僧侶の住居として、僧坊があります。

仏 像

 寺院に安置されている仏像は全てお釈迦様だそうです。
 
 
菩提樹の下で悟りを開いたお釈迦様の姿を
 表しているのが、
「坐像」で、
 
 バンコクの「ワット・ポー」やアユタヤの
 「
ワット・ヤイ・チャイモンコン」で見たような
 横たわっている姿
「涅槃像」入滅を表しています。
 

 お釈迦様が各地を歩いて
説法を説いた姿「立像」で、
 これから訪れるスコータイには、
 お釈迦様の
歩く姿を表した
 「遊行仏」があるそうです。


    


 
壁 画

 本堂や礼拝堂、回廊には、壁画が画かれています。

 バンコクにある「ワット・プラケオ」の
 回廊に描かれていたのは、「ラーマキエン」

 本堂には、お釈迦様の
 生涯が画かれている事が多いようです。

 







〜タ イ 北 部  旅 行 記 〜

タイ北部の町(寺院)は、どんな姿を見せてくれるのかな・・・



 
チェンライ 2010/7/24
   

  
@ワット・プラ・ケーオ 
   
ワット・プラ・ケーオは、15世紀に建てられた寺院だそうで、
     バンコクのワット・プラ・ケーオに安置されてる
「エメラルド仏」は、
     かつてこの寺院にあったそうです。

  
Aワット・プラシン  

   
 
   
 B山岳民族の村
   
Cゴールデン・トライアングル

   
チェンライからさらに北へ約60km、
     タイ最北部の町チェーンセンは山に囲まれた緑豊かな土地です。

     タイ、ミャンマー、ラオスの国境がメコン川とルアック川で接している
    
ゴールデントライアングルで、かつては、ケシの栽培が盛んに行われ、
    麻薬取引
が行われていた地域です。
     ゴールデンと呼ばれるのは、麻薬によって莫大な富をもたらしたからだそうです。


 
チェンマイ 2010/7/25

    
Dワット・ドイステープ  ○ジャータカ物語
   
ワット・プラ・タート・ドイ・ステープは、
   1383年クーナ王によって建てられた
タイ北部で最も神聖な寺院だそうです。

    ワットは「寺」、プラタートは「仏舎利」、
   ドイは「山」そしてステープは「山の名前」を意味しているんですって。

 
  Eメオ族の村   Fカントークディナー


 
チェンマイ 2010/7/26

   
Gワット・スワン・ドーク  ○三宝節って?  ○輪廻転生
     もともとは、城壁の外に造られた
ランナータイ王族の庭園だったそうです。
     スコータイから布教の為にチェンマイを訪れた僧侶が持ってきた仏舎利を納める為に、
     14世紀、6代目、クーナ王によって仏塔が建てられたそうです。

   
Hワット・プラシン   Iエレファント・キャンプ    J蘭園

 
 スコータイ 2010/7/26  「スコータイ遺跡公園」

  
Kワット・プラ・パイ・ルアン 
  Lワット・シー・チュム 
   
曲線がきれいな仏像ですね。壁に守られるように鎮座しています。

   スコータイ王朝で、最も大きな仏像(14.7m)だそうですが、
   大仏を建てる事は、王の権力を表していたそうです。



 
 スコータイ
 2010/7/26  「スコータイ遺跡公園」

   Mワット・スラ・シー  
    Nワット・マハタート 
    ワット・マハタートは、王室の菩提寺として建てられたスコータイで最も重要な遺跡で、
    敷地の中には、礼拝堂が10棟、
    蓮の蕾の形をしたスコータイ様式や、クメール様式、
   シュリーヴィジャヤ様式の仏塔、209基もあったそうです。


   Oワット・シー・サワイ


 
ピサヌローク 2010/7/27

   
Pワット・プラシ・ラタナー・マハタート
    1357年、スコータイ6代目のリタイ王(King Lithai)によって建てられた寺院です。
    大火災から免れた寺院には、
    タイの仏像の中で最も美しいと言われている仏像があるそうです。

   
○仏歴と西暦

 
 
シー・サッチャナライ
2010/7/27

    ピサヌロークから北西へ1時間半、シー・サッチャナライへ。
    シー・サッチャナライは、スコータイ王朝時代、副王が治めていた町で、
    140を越える寺院跡があるそうです。


   Qワットチャン・ロム  Rワット・チェツデーオ  Sワット・ナン・パヤ  
   21陶器博物館   22ワット・プラシー・マハタート




 旅行記      カンボジア(アンコール遺跡) 

            サイパン  地中海クルーズ10日間



 ミシガン便り   @ミシガン州   Aミシガン州以外   Bフロリダ州 

            バハマクルーズ


 バンコク便り   @バンコク   Aタイ中央部  Bタイ南部   

                    
C花と樹木   Dタイ北部   


10世紀頃の原住民、「モン族」と「クメール族」の居住域を見ても国境はなく、
この頃、インドの伝道師によって仏教の教えがモン族に広まったそうです。

11世紀には、アンコールを首都とした、
クメール大帝国が誕生し、
クメール様式の仏塔が建てられるようになります。

13世紀になると、クメール帝国を制圧した、
タイ族による初めての統一国家、スコータイ王朝が誕生します。
部族による国家から王朝国家へと変わります。
上座部仏教を国教とし、
スリランカ様式の仏塔が建てられるようになります。

タイの歴史をたどって見ると、インドや中国、イスラム文化などの影響を受けながら、
王朝の交代と共に民族が移動し、独自の建築様式が加わり、
仏塔や仏像の姿も変わってきたのかな・・・って思えます。
8世紀頃のアジアには、今のような国境はなく、現在のナコーンパトムの辺りには、
トバーラーバディー国があり、ランプーンの辺りには、ハリプンチャイ国があったそうです。

シュリヴィジャヤ国
は、スマトラを本拠地にし、タイ南部のスラーターニーや、
チャイヤーを支配していたそうです。
建造物には、ジャワ(ジャワ様式)や、インドの商人が伝えたという
ヒンドゥー教(ヒンドゥー様式)の影響があるようです。

トンブリー王朝

・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・

Fラーンナータイ国

1558年 
ビルマ軍の攻撃に
敗れ属国に  

Dハリプンチャイ国

征 服 

同盟関係

Eパヤオ国

メコン川

ミャンマー
(旧ビルマ)

今年(2010年)3月から5月までの2カ月に及ぶ、
非常事態(暴動)は、一応治まったものの、
7月に入っても非常事態宣言はまだ解除されていません。
この国の格差社会がなくなっていかない限り、
同じような事が繰り返されるように思えます・・・


そんな状況のタイですが、
夏休みにタイ北部の町を訪れてみようと思っています。
もちろん、現地大使館から出される
安全情報は、
要チェック!!です。


今回予定しているのは、チェンライ、チェンマイ、スコータイの
遺跡寺院を巡るツアーで、タイ、ミャンマー、
ラオスの国境がメコン川で接している
ゴールデントライアングルも含まれています。

ここはかつて、ケシの栽培が盛んに行われ、
麻薬取引が行われていた地域で、
ゴールデンと呼ばれるのは、
麻薬によって莫大な富をもたらしたからだそうです。


この国境近くで暮らすヤオ族、アカ族、カレン族などの
山岳民族は、海抜1000m級の山々の斜面で、
今は稲やトウモロコシを作り、
独自の生活様式を守っているそうです。


そんな山地で暮らすの少数民族の1つ、

「メオ族の村」
へも行く予定です。

チェンライ

パヤオ国

タイ北部の国々  

1431年
Cアユタヤ軍により
クメール帝国は、崩落

クメール帝国により、モン族を放逐

Aクメール族

チャクリー王朝(ラマ)
    ア  ユ  タ  ヤ 王 朝

昨年は、何度かタイ中部に位置するアユタヤ遺跡を訪れました。

「盛者必衰の理をあらはす  
奢れる者久しからず  只春の夜の夢の如し」


父が亡くなった事もあり、朽ち果てた寺院や仏塔に、
ただただ虚しさや、寂しさを感じてしまいました。

それでも、日本の寺院や三重塔、五重塔にはない建築様式や、
仏様をゆっくり見る事が出来たのは、
私も孫を持つ年齢になったからでしょうか・・・



タイを旅行していると、あちこちにお寺があり、
どこへ行っても熱心にお参りする人の姿を見かけます。

徳を積む事のみによって救われる、上座部仏教の教えでは、
寺院(仏塔)を建てる事が最大の徳であり、
王の権力をも示しているようです。
お寺以上に見かけるのが、精霊(ピー)を祀った祠です。

お水やお米、お花が供えられています。



タイは、ミャンマー、ラオス、カンボジア、マレーシアなど、
四方を隣国に囲まれています。
インドや中国など大国からの影響もあったのでは・・・

そこで、北の町を訪れる前に、
アユタヤ王朝以前のタイの歴史や
バンコクやアユタヤで見て来た寺院について
簡単にまとめてみました。 
タ  イ  北  部

メーホンソーン 

シー・サッチャナライ

史跡公園

1
101

鉄道(北線)

スコータイ

ランパーン

ナーン

プレー

チェンマイ

ーンナータイ王国時代の勢力域

メーサイ

イ  ン  ド

スリランカ

カンボジア

マレーシア

ベンガル湾

イ ン ド 洋

南シナ海


N

S

スコータイ

アンコール・ワット

南部

中部

東北部

タイ北部

ラオス

チェンライ

チェンマイ

メコン川

ベトナム

アユタヤ

(旧セイロン)

ジャワ島

雲南

パヤオ

ランプーン

ハリプンチャイ国

ピッサヌローク

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